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朝日新聞『ビジネス朝日』に弊社が掲載されました

看板のデジタル化 時流を捉える

 人口4万人弱の府中市の郊外。山あいにあるタテイシ広美社を訪ねると、社内で働く若手社員の多さに驚かされる。
 「従業員の平均年齢は30代前半。大手と違い、うちには20代の課長だっています」。そう話す立石良典社長(43)だが、最初に選んだ就職先は大手鉄鋼メーカーだった。「でかい会社を目指せ」。家業の化粧品店を辞め、サラリーマンになった実父の勧めに従った。
 配属先の福山で、タテイシ広美社創業者の克昭さん(67)の長女と知り合い、結婚。妻が3人姉妹のため婿養子になったが、「家業を継ごうという気はなかった」。
 学生時代に留学した中国で働きたいと、30歳目前で大手印刷メーカーに転職した。2008年から約5年間、上海へ。日系化粧品会社の広告営業などに関わり、大手なりのやりがいも感じた。
 一方でライバルの中国企業を見て、うらやましさも感じた。「同じ規模のベンチャーが大手と渡り合っている」。現地法人の広告部門約60人を束ねる幹部になっていた。
 上海で感じたことを克昭さんに伝えると、こう言われた。「わしも日本で同じように戦ってきた」。
その言葉で帰国し、13年に家業入り。
 「大手以上にやりがいがある会社を、一緒につくる」。
 そう誓い、2代目は走り出した。 


「情報伝逹業」で新事業が”いこる”会社に

 -社会人になって、最初の赴任地が福山だそうですね
日本鋼管(現JFEホールディングス)の福山事業所でした。
結婚後に海外事業部へ異動して福山を離れ、中国や東南アジアヘの鋼材輸出を担当しましたが、
現地駐在の希望は、若さなどを理由に実現しませんでした。
 その後、大手印刷メーカーに移ったのは、広告に興味がわいたからです。すごくクリエーティブな感じがありましたから。
中国滞在の約5年間で得た人脈は、社長になった今も生きています。
現地の中国系大手との競争の中で、会社の規模でなく、品質費用納期を意識するマネジメント能力がビジネスで勝敗を分けると気が付きました。

 -そうした経験が、今の経営にも生かされているのですね
 中小企業は小回りが利くので、即断即決のスピード感では大手企業に引けをとらない。
ただ、スピード感だけでは勝てない。要求される品質と、要望通りの納期を実現できる技術力がなくてはいけません。
 バブル崩壊で一時売り上げが落ち込んだころ、当時社長だった創業者が、大手電機メーカーの電光掲示板を販売して回った時期がありました。
 顧客から製品仕様などの改善を求められ、メーカーに伝えても、まった<融通が利かない。
だから、自社でオーダーメイドによる電光掲示板の開発を始めました。今も広告看板や店内サイン(標識)などが事業の大きな柱ですが、
創業者は「看板屋から脱皮する」と宣言し、会社の経営理念に「情報伝達業」という言葉を盛り込みました。

◆若い世代のために
 -情報伝達業とは面白い発想です
 今も事業領域を広げていくうえで、大きなキーワードになっています。店舗や屋外などの看板事業は創業者の会長が中心に目配りし、私は新規事業の立ち上げや、市場が大きい首都圏での取引拡大に力を入れています。
情報伝達業というのは、情報をかたちにすることを目的としています。だから、デジタルサイネージ(電子看板)や大型ディスプレーなど、取り扱う製品も増えれば、納入先も幅広い業種業界になっています。
ー創業者の好きな言葉に、備後弁の「いこる」あるそうですね
標準語で言うと「起こる」ですが、いこった炭の火はなかなか消えず、持続力があります。創業者は「いこる」ところに、よい情報や仕事が集まると言いますが、私もそう感じます。
 電子看板などの普及で、看板業界も若手のエンジニアやデザイナー、プログラマーらの人材が求められ、活躍できる時代です。
大手企業なら20代、30代の社員が任せてもらえないようなプロジェクトを受注し、それにどんどん挑戦できる社内環境づくりを目指す。
東京五輪・パラリンピックまでの開催日数を示すデイカウンター(残日数表示板)などの受注実績は、そうした挑戦の成果です。
本社を構える府中市も含め、地方の郊外都市では雇用を守り、地元経済を活性化するため、若い世代が働きたいと思える場所が必要です。
Uターン、ーターンで入社してきてくれる人材も増えてきており、張り合いを感じています。